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自由と孤独と

長らく滞っていた外国人の入国に関する水際対策が、本日から大幅に

緩和される。

週明けの空は、快晴ではないものの、雲の隙間からは、明るい光が

のぞく。


10月中旬に行われた衆院選前の党首討論で、野党が、この問題に言及

していたことは、以前のブログに書いた。


選挙後、与野党の配置図に大きな変化は生じなかったが、声を上げた

ことが、一歩の前進につながったのであれば、小さな力も無視できない

とあらためて感じる。


何より、このニュースを聞いて頭に浮かんだのは、少し前に、定期試験

のレポートや修士論文のサポートを依頼してきた大学院生の姿だ。

その方たちは、今春、日本の大学院に入学したものの、日本に入国できず、

すべての授業をオンラインで受けながら、いわば孤独に研究を続けていた。


オンラインでの集団授業は、ノイズが入ったり、時間差があったりして

発言や質問をその場でしづらく、機会を逸してしまう点、アカデミック

ライティングのサポートを受けられない点、日本での資料集めができない点

等が問題で、正当な学びの機会を奪われていた。


研究は、それを、身をもって体験した人間から言わせてもらえるなら、

基本的に孤独な営為だ。


だが、学生時代は、昨日書いたようにある「自由」が担保されているとも

いえる。

良かれ悪しかれ、その結果は、自分自身に返ってくるが、挑戦のチャンスが

与えられているのは貴重この上ない。


数多くの研究者(教員、学生を合わせ)を目にする過程で、研究者としての

その人自身の資質は、少しことばを交わせば、大体把握できるようになった。


上述した大学院生の方々は、孤独と対峙しつつも、研究者として欠かせない

「胆力」の持ち主である。

換言すれば、孤独に強く、粘り強いということだ。


『自由からの逃走』を引き合いに出すまでもなく、何をやっても許されると

思いそのようにふるまうのは、自由でなく、ただの“好き勝手”である。


こと研究に限らず、孤独を引き受けることで、得られる自由は確かに存在する。

それを知る身は、たとえ精神的危機に陥っても、いつか必ず立ち直れるだろう。


生易しい試練ではないが、コロナがわれわれに運んできた災禍が、「自律への

自由」を身につける契機となり、未見のさらなる危機に立ち向かわせる力に

なることを願わずにはいられない。



















Gwen John

‘A Corner of the Artist's Room in Paris ’

(1907-1909)

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