- 日本語空間
良い文章にはリズムがある
良い文章にはリズムがある。
論文に、美文調は求められていないが、読みやすい
文章、読んでもらうための文章となれば、リズムを
まったく無視することはできない。
論文の添削をしていると、文章表現のこまやかな部分
にまで意識を欠かさない外国人学習者の方に出会い、
感心させられることがある。
日本人であっても、普段、文を書く機会はチャット
かメールくらいなのだから、まさにネイティブ顔負け
といえる。
一例を挙げれば、前後のセンテンスで、部分的に同じ
内容を扱うときにも、表現が重ならないよう工夫が
なされていたりする。
そう。
表現には幅があり、「言い換え」が可能なのだから、
どうしてもそれを回避できないときはともかく、
近い箇所で無造作に同じ表現の繰り返された文章は、
雑な印象になる。
ひいては、読み手に対する配慮がないとも受け取られ
かねない。
それでは、日本語に関し上級以上の文章力の持ち主
であっても、なかなか意識できないものは何かと
いえば、ズバリ「文末」表現だ。
具体的には、過去の出来事を扱うにしても「~た。」
ばかりを用いるのは、単調すぎる。
過去について言及するのでも、普通形を用いられる
場合がある。
そうして、文末表現を同じにせず、変化をつけること
でリズムが生まれる。
ただし、一定の長さの論文を執筆する際、推敲を
繰り返すうち、書き直さねばならないセンテンス
が必ず出てくる。
その場合も、前後の文まで書き直さねばならない
のであれば、文末にも微調整が必要となる。
学位論文にとどまらず、業績を積むため、数多くの
論文を書くこととなる大学院(特に博士課程)で
いわれる「作法」に関し、実際に、何をどうせよと
細かく指示されることは、むしろないかもしれない。
だが、書いて終わりでなく「読んでもらう」、さらに
いえば他の論文の間で「目を引く」存在となるのに、
文体への留意は必須なのである。
「何を」だけでなく、「どう」の部分にもこだわり、
心して執筆に励もう。
結果は、必ずついてくるはずだ。
