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華がある?

人からほめられるのは、よいことに決まっているが、

場にそぐわないようなほめことばをもらったときには

当惑する。

果たして、これは本当にほめられているのか? と。


私事で恐縮だが、拙稿に関し、上述したような場面が

何回かあった。


具体的には、修士論文の口頭試問、博士課程の編入試験

における口述試験でのこと。

無論、さまざまなやりとりがあったが、前の場面で、

担当教員から腕組みをされ「文がうまい」と何度か言われ、

後の場面では、3人の試験官のうち2人から「(論文が)

おもしろい」を連発されたのには面食らった

(ちなみに、私が出た大学院修士課程と博士課程は異なって

いる)。


だって、おかしなことではないか。

文がうまい? 自分自身ではそう思わない。

そもそも、研究に際し文章が下手では、出発点からして

意識が低すぎるだろう。


本当にすばらしい文章を目にすると、引け目を感じ、自己

錬磨せねばと反省させられる。


おもしろい? 興味深い、新規性があるということと

取っていいのだろうか・・・

そのような意味であれば、よろこばしいのかもしれない

けれど。


また、ある時、ゼミの教員から、「華があっていいじゃない

ですか。私の研究なんて地味で」と言われた。

本心なのか、 軽い嫌味なのか、正直、真意をはかりかねた。


「華がある」とは、一般的には、人物に対しもちいられる

形容だ。

はなやかで人目をひきつける、といった意味だが、それ

を学術論文に使うとは。


もし、その先生が、ほめる意味で使ったのだとしても、

私には反論したい気持ちがある。

なぜなら、華があるといえば、努力の有無と関係ないよう

に響くから。


文章がうまい、新規性がある、というのは、表面には

出さない部分で、しかし、それらを徹底的に極めようと

努力した結果だと言いたい。


それゆえ、もし多少でも人目をひくところがあるなら、

やはり何となくそう見えるのでなく、むしろ泥臭い歩み

の積み重ねなのだと自認している。


             鈴木基一『萩月図襖』

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