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覚醒のとき

人生には、後に続く日々を大きく変えるような経験の

待ち受けていることがある。

それは、自分自身が呼び寄せたものとは限らず、幾多

の偶然性に左右された結果であることもめずらしくない。


起伏が少なく、平穏な日々に満ち足りている人なら、

そのような経験を必ずしも必要とはしないだろう。

だが、悩み、つまずき、彷徨し続け、その果てに一筋

の光を求めているような人にとって、それは貴貨と

呼びうるようなものなのだ。


その意味では後者といえる私自身が、当該の経験に

恵まれたのは、大学院生のときであった。

より正確に言うなら、当時は出来事のただなかに

あったため客観視できておらず、卒業後しばらくして

気づいたのである。


元々、学位を取ることで、積極的に何かになりたいと

いう目標はなかった。

当初は、仕事の幅を広げるべく修士課程まで修了できれば、

という気持であったから。

だが、学びを深めることによろこびを覚え、いつしか

学生生活を中断するという選択肢が考えられなくなって

いった。


場当たり的で計画性がないといえば、そういえなく

はない。

しかし、いわば見返りを求めない「知」の追求を経験

してからは、己の眼に映る風景が変わったのである。


先日の授業で、学習者の方が「innocent」という表現を

していたが(英語の発音だったので英語的なニュアンスで

使ったのだろうが、日本語にも「イノセント」はカタカナ語

で定着している)、知を深めたいという願望には、そのような

形容詞が当てはめられると感じる。


無論、生きていくには、物質的なよりどころが求められるし、

きれいごとで世を渡っていけないのも事実だ。

それでも、「知」を希求することそれ自体において、迷い

が生じなくなったのである。


これまで出会った外国人学習者の中にも、ひたむきな学びへ

の情熱を秘めている方が数多くいて、感動しきりだった。

おそらくその方たちも、一つのステージを上るごと、

かけがえのない「知」に覚醒していくのだろう。


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