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論文の極意とは

慌ただしく過ごしながら、ブログを更新せねばと

焦りつつ迎える金曜日・・・


最近、授業を受けて2年目になる社会人学習者の方

と論文についてあれこれ話し、充実した時間を過ごし

ている。

その方自身は、専攻が経営のため卒業論文は書か

なかったというが、日本語の書きことばに対し、

意識が高くて感心させられる。


質問も一々的を射ているので、答えることにも、

甲斐を感じる。


さて、いわゆる〇〇道など、何か一つの道をきわめる

には「極意(ごくい)」があると言われる。

それでは、論文の極意は何か? と尋ねられれば、

考え方により答えは異なるのだろうが、技術的なこと

はさておき、私は、あえて「書くのをたのしむ」こと

だと言いたい。


つまり、それは逆説的に、どうすればたのしめる状況

をつくれるかということにもつながる。


特に、学術論文は字数が長いため、それに比例し、

取り組む時間も長くなる。

その間、一定のペースで歩みを止めず、スイスイ

書き進められる人は、実際きわめて稀なのだ。


紆余曲折(うよきょくせつ)、山また山、で、獣道

(けものみち)のごとく跡がつけられていない途を

手探りで何とか進んでいく。


それは、もはや、単にことばを綴るなどという次元を

離れ、誰でもない自分自身と徹底的に向き合う経験と

なるだろう。


リタイヤするのも、難関を突き抜けゴールに到達する

のも、自分次第だ。


こんな自己錬磨のチャンスは他にない。

だから、一般的に見たらデスペレートな状況も、思い

切ってたのしんでしまおう。


人間は、ことばを操る生き物なのだから、ことばを用い、

思考を表現するのは、自身の総合力を上げることに他

ならない。


書き悩み、途方に暮れ、往生しながらも、突破口を探す

うち、経験値はグングン上がっていく。

その過程自体を、享受して、たとえ半歩でも前に出る よう試みるのだ。


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