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論文はあたらしくなければならない

文系、理系を問わず、21世紀の今日において研究を

おこなう身は、ただ自身の領域に閉じこもり、個別

の研究のみに没頭すればいいというものではない。


グローバル化以降、連関する世界情勢は、転変の

速度を増したが、アフターコロナの状況にあり、歴史

もさらに次の段階に進んだといえよう。


少し前に、長らく読みたいと思いながら機会を逸して

きた池明観先生の自伝を拝読した。

誠に遺憾ながら、先生が、今年の1月に死去されたと

いうニュースを夏になって知ったのがきっかけだった。


池先生といえば、韓国が軍事政権のただなかにあった

とき、日本の女子大学で教鞭を取りながら、岩波が

出版する『世界』においてT.K生のペンネームで、

祖国の民主化運動のためにメッセージを送り続けた

ことで有名だ。


もともとクリスチャンであった先生は、日本の教会

のみならず、世界の教会とネットワークを築き上げ、

「解放」と「民主」の灯りをともしつづけたのだった。


1924年に、貧しい小作農の家に生まれた池先生の生涯

は、激動の近代から現代にかけての歴史に重なっている。

いわば歴史の生き証人ともいえる存在であるが、心の

内では、静かな学究生活に没頭したいという欲求と、

社会の中で連帯を果たさなければならないという良心

の間で葛藤していたという。


池先生ほどの誠実さには及ばなくとも、同じような

思いを抱いている知識人は、昔も今も変わらず一定数

存在すると考えられる。


実際に、彼らの随筆などを読んでいると、類似した記述

に出会うことがある。


ここで、実際の論文執筆の話をするが、たとえば、参考

文献は、あまり古いものだとすでに情報に変化が生じて

いるため、参照すべきでないというのは基本的な認識である。

しかし、客観的な事実のみでなく、普遍性をもち今日にも

示唆を与えてくれる思想も、過去の文献には含まれている。


温故知新ではないが、単に情報があたらしければ、使える というものではなく、本質的に古びていないものを見極め ねばならないのだ。 過去、現在を貫き、未来へと向かうための「投企」を不断に

試みること。

その上で、われわれが書く論文は、常にあたらしくなければ

ならない。


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