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論文は生(なま)ものだ

いい論文とはどのような論文だろう?


この問いでは漠然としているので、高い評価を

得る論文とはどのようなものだろう? と問い

を設定し直せば、まずそれは、現在性を反映

する論文である。


すなわち、10年前にもあったような論文を、

今日書く意義はない。


なぜ、このようなことを書いたかというと、

過去に論文のサポートをした学生が所属する

ゼミの先生のコメントが的を射ておらず、

研究最前線の情勢が踏まえられていない旧い

ものであったため、どう反論あるいは説得

してわかってもらうか、頭を悩ました経験が

あるからだ。


あたりまえのことを、いまさら言うようだが、

構成、論理性、修辞(分野により異なる)、

そして何より新規性がなければ学術論文とは

呼べない。


とりわけ新規性に関しては、他の部分で詰めが

やや甘くとも、ただ無難でレポートのような論述

より、萌芽的な要素を持つ論文の方が評価は

当然高くなる。


学生ひとりでは足りない未熟な部分はフォロー

しつつも、直観の閃きや、大胆な仮説などは、

引き出す分にも、伸びていこうとする「芽」

を摘むなどしてはいけない。


その芽が出る以前に、学生が堅苦しく考えすぎ

て、踏み出すこともできなかったり、挙げ句の

果てにコピペ的な文章を書いてしまったりする

のも、個々人の自由な思想を尊重しつつ、ことば

には責任を取らせるという指導者側の態度が足りて

いないからではないかと考えられる。


修士課程で、他学科の授業を履修した時、特任教授

から「修論は大胆に行こう!」というアドバイスを

もらった。

何となく適当にそのようなことばをかけたのでなく、

修論の構想に熱心に耳を傾けてくれ、背中を押して

くれたことがわかり感動した。


そのことばに応えるべく、先行研究にないテーマに

手探りで挑み、修論、博論とも高い評価を得られた

のである。


自由は重く、そして貴い。

アカデミズム自体、自由思想を源泉としていること

が忘れられてはならない。

肩肘張らず、強度のある知を駆使して、生き生きと

世界を記述しよう!

           新成人の皆さん、おめでとうございます!

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