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論文執筆の「助走」に入る

年頭にあたり、私は、研究において、これまでと異なる 分野に歩を踏み出すことを宣言(!)しました。 高い理想を堅持するには、時に自分自身を追い込むこと も欠かせない。 最初から「楽勝」など見込んではダメなんです。 大学院に在籍していたころは、研究に際し、最も関心を ひかれる対象、己にとって書きやすいモチーフやテーマを、 自明のように選んでいました。 このような姿勢は、むしろ専門を問わず、多くの研究者に 共通しているといえるでしょう。 俗に「好きこそものの上手なれ」などということわざもある。 しかし、想定外のニューノーマルな日々が定着するにつれ、 来し方(こしかた)が反省されるようになったのです。 博士に至る過程では、研究者に、強靭な「知」が蓄えられる (はず)。 が、既有のそれを小出しにしたり、チマチマと組み替え 提示するようなあり方に、どうして今日的研究の意義が 見出せるでしょうか。 一度来た道には戻らない。 間断ない成長を望むのみ。 もともと学際的な研究をしていた私は、指導を受けられる 教員がおらず、特に、博士課程に進学した時には、大海原 (おおうなばら)に木の舟を浮かべ、一人漕ぎ出すような 心境でした。 現在は、似て非なる境地にあります。 大きな変化は、当時は、何をどうしていいかわからず、 良くない結果を恐れ、不安になっていましたが、 今では、負け戦になろうとやってやろうじゃないか、と いう気概でいること。 さて、論文を書くに際し、資料を集め、いきなり書き出す ようなことはしません。 それでは、論文ではなく、ただの「まとめ」か「レポート」 にとどまってしまう。 関連する資料や書籍を多読するのは当然ですが、同時に、 徹底的なブレインストーミングを行うのです。 学校では、なぜか教えてくれませんが、この「助走」の段階 は、論文の質に関わる大切な時期と言えます。 はじめに論文を書くことがありき、ではなく、なぜその論文 を書かねばならないのか? 切実にゾルレンを探っていくことにしましょう。

     2021.2.4

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出会いがあれば別れがある。 それは、理(ことわり)なのに、 一抹の寂しさを拭うことができない。 『日本語空間』がスタートしてから、 今までいちばん長く(2年半!)学習 を続けた方が、今月中旬に国へ帰る。 毎週日曜日の晩、PCの画面で顔を 合わせながら、実際にお会いする機会 は一度もなかった。 それでも、何の問題もなく、最後まで 円滑に授業を進められたのは何よりだ。 帰国後は、日本語を使う頻度が減る