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逆境における多幸感

風立ちぬ、いざ生きめやも――!

(訳)「風が立ち起こった。さあ、私たちは生きねばならない」。

ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』から、印象的なフレーズを

引用した小説『風立ちぬ』(1936-38)の著者・堀辰雄(ほりたつお)

は、同作品の中で、結核にかかった余命いくばくもない婚約者との日々

を「ふつうの人が終わりと考えるような所からの出発」と表現している。


高原のサナトリウムという非日常的な空間で、世間の喧騒から逃れ、

ただふたりの時を刻々と生きるうち、ふつうの意味での悲しみは、

日付けさえ忘れさせるほど純化されていったようにも見受けられる。


一方、同作品が執筆された時期には、首都・東京で高まる政治意識に

駆られた堀と同年代の将校がクーデター「2.26事件」を起こしている。

自身が存した時代の政治動向について、堀は、ほとんど記述を残して

いない。

彼の姿勢を「孤高」と称するのか、「逃避」と断じるのか、どこに立つ

かで見方は変わってくるだろう。


さて、パンデミックに見舞われた当初、人類は、どれだけ呪われている

のか? と悲観しもしたが、時間が経ち、状況を客観的に眺める余裕が

出てからは、それ以前の日々もまた、かりそめのものであったと信じ

られるようになった。

ものごとには、すべて可能性と限界があり、こと人間にかぎらず、

この世に生じたものは遅かれ早かれ消えていく。

だが、たとえ自己が消えた後にも、世界は残り、継続していく。

その厳然たる事実は、むしろ、嘉されてしかるべきなのだ。

漫然と生きて、覚悟もなく果ての日を迎えるよりは、悔いなく生きるほう

がよいし、今となっては、生きているということ自体、相当に得難いこと

と感じられる。

個人的な話になるが、以前に小動物を飼ったときは、彼らがペットである

ことを疑わなかった。

しかし、コロナが縁で、事務所に毎日やってきた野良猫を保護してから、

愛玩動物を飼っているというより、まがりなりにもひとつの命と対峙して

いる気持ちになった。


それは、あたりまえに思い込んでいた日々のかけがえのなさを、痛感して

以降の変化だといえる。

職業柄、ことばとは何か? という問いから離れることもないが、一方で、

ことばを介さない動物とのコミュニケーションに、多幸感をおぼえたりする。

そもそも研究において、懐疑する姿勢は、必要不可欠だが、常識を打ち壊す

ような環境の変化や、他者的存在は、思考が惰性にならないためにも歓迎

すべきなのだろう。

反面、理屈では説明できない感慨に、しばし浸ってみたりもする今日この頃

である。


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