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過去から未来を照射する

心穏やかでない日が続き、ブログの更新が遅れに遅れて

しまった。


刻々と移り変わる世界情勢から目が離せないここ2週間ほど、

以前に読んだ本を再読し、何かしらの示唆を求めている。


先日の『空震』に続き、現在、再読しているのは、

『アフター・ヨーロッパ――ポピュリズムという妖怪に

どう向き合うか――』。

著者は、ブルガリア出身で政治学専攻、ソフィアの

『リベラル戦略センター』理事長で、『ジャーナルオブ

デモクラシー』誌の編集委員も務めるイワン・クラステフ。


私が、この本を手に取ったのは、まさにコロナが蔓延し

はじめたころだったが、2018年出版の同書では、すでに

現在進行形の危機が予言されている。


日本では、翻訳された本を読む機会に恵まれているといえ、

とりわけ、人文科学や社会科学の分野では、本国での出版

から1年経つか経たないかのうちに、当該の書を日本語で

読むことが可能となる。


だが、学術書などでも、主たるものは西欧のものが比較的

多いため、その意味でも、東欧人の立場から示される考察

は、現今の情勢に対し示唆に富んでいる。


クラステフは、(あえてステレオタイプタイプ的な描写をした

のかもしれない)が、 東欧人は「事態というものが不安や恐怖の

感情により一掃されるものであると理解する」のに対し、西欧人は

「すべてうまくいくと信じようと言い張る」と書く。


ここで、彼が問題にするのが「既視感的思考様式」だ。


何より、1965年生まれの彼自身、共産主義体制下のブルガリアで

暮らしていて、「永遠と思い込んでいたものが突然、暴力によらず

に終わるということを味わった」ことにより、

「突然開かれた機会と、新たに見出された個人の自由の感覚に圧倒

され」ながら、同時に「あらゆる政治的なものは“はかない”という

感覚を新たに発見し、衝撃を受けた」世代なのだと語る。


近年、ヨーロッパで台頭してきたポピュリズム、というときの

「ポピュリズム」とは、論じるまでもなく「悪」とされているようだが、

それは時に、デモクラティックなあり方においても、必要悪とは

なりえないのか?


今回、みずから白旗を上げず果敢に戦う陣営のリーダーを見て、

そんなことをふと思ったのが、この本をふたたび手に取ったきっかけ

である。

「プロパガンダ」しかりで、劣勢の側が延命するためには、なりふり

かまわず有効な手段が用いられてしかるべきではないか。

何より、相手を倒すためでなく、みずからの生存を護るために―― 過去の国家的栄光でなく、未来へと続く個々人の途に向けて。



 近年のヨーロッパ情勢の概要が知れる。

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