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里山、そして海。
一週間前、各種のメディアは、東日本大震災から10年が経過したことを報じていた。
そこで気になったのは、冷静な分析より、情緒的な書き方の記事が多かったことだ。
亡くなった人、未だ行方不明の人に関する話題が扱われるのは、しごく自然である。
だが、同情や感傷のレベルにとどまっていては、何も動き出しはせず、再びおなじ轍
を踏まねばならない。
かかる雰囲気には、10年の歳月が、原子力発電所の存在に対する危機感を薄れさせた
のではないかと思わせるものがある。
むしろ、怒り(特定の外部に対してだけでなく、それを防ぎえなかったわれわれ自身
に対する)をこめ、経済や合理性を最優先させてしまう趨勢から、目をそらさず対峙
すべきだろう。
里山(さとやま)は、深山(みやま)と異なり、人間の手により環境を整えられて
きた歴史がある。
しかし、そうであっても、原子力発電所以前と以後では、事情が一変してしまった。
端的に言って、「美しい里山」とそれは、共存しえない。
はるかな昔から、この列島を取り巻いて循環し、人間の命をはぐくんできた海、も
また。

纐纈あや監督「祝の島」(2010)
遣新羅使一行が航海の無事をひたすら祈った
という祝島(いわいしま)は、周防灘と伊予灘
の境界に位置する山口県熊毛郡上関町の島。
3.11以来、計画が中断していたが、2016年以降、
準備が開始されている。