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鎖国下(さこくか)における信仰と科学の受容
一昨日、ほんの少し触れたオランダにおける「チューリップ狂時代」は、
1637年に終焉。
同年、日本では、キリスト教徒を中心にした「島原の乱」が起きている。
1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルにより、日本に伝えられた
キリスト教は、当初、織田信長らの庇護を受け、着実な伝道をおこなっていた。
しかし、時の権力者が、豊臣秀吉、徳川家康と移る中、その勢力は警戒され、
弾圧をこうむるようになる。
島原の乱では、幕府軍が圧倒的な勝利をおさめ、1639年、キリスト教を
締め出すべく、南蛮(ポルトガル・スペイン)船の入港が禁止され、鎖国体制が
整えられていく。
だが、すでに深く浸透していたカトリック信仰は、完全には捨て去られず、 信徒たちは、「隠れキリシタン」(キリシタンは“クリスチャン”の意味)として、 ひそかにミサを続けていた。
一方、プロテスタント国であったオランダは、鎖国の期間中も、長崎の出島に
おいて、通商を許可される。
そこから、江戸時代には、「蘭学(らんがく)」=オランダの学問が、知識人の間
で受容された。
特に、出島を擁していた九州では、オランダの文物や習慣に傾倒する大名がおり、
彼らは「蘭癖(らんぺき)」と称された。
『平戸オランダ商館の日記』(1627-41)や、『長崎オランダ商館の日記』(1641-54)
には、阿蘭陀船(オランダ船)から運び込まれた精密機器の名称が記されている。
中でも、現在のカメラの原型である「暗室鏡」が、すでに、そこに含まれている
のは興味深い。
だが、当初それらは、何か非常に貴重なものと見なされながら、正しい使用方法
は理解されていなかった。
フランスで、ダゲールが、ダゲレオタイプを発明するのは1839年。
早くも、1848年には、長崎に写真機が輸入されている。
そして、薩摩藩(さつまはん)の蘭癖大名・島津斉彬は、家臣に写真の研究を命じ、
ついに1857年、肖像写真(島津自身の)撮影に成功するのである。
映画「沈黙」の中で、棄教したイエズス会のロドリゴ神父は、輸入品の中に キリスト教関係の品が混じっていないかを調べる任務にあたる。
その彼を、同じヨーロッパ人であるオランダ人が、蔑みの目で見るシーン
は印象的だ。