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非言語コミュニケーション

ことばを扱う仕事に就きながら、ことばの力を、絶大だなど

とは考えていない。

むしろ、ことばの無力さを、身にしみて感じることがままある。


実際、われわれのコミュニケーションにおいて、圧倒的な割合

を占めるのは、ことばを介したコミュニケーションではなく、

非言語コミュニケーションの方であり、前者は、1割に満たない

らしい。


低コンテクストの言語と異なり、語りつくしてしまうことを

良しとしない日本語においては、ノンバーバルな部分は、さらに

人間関係の要となるだろうか。


しぐさや目線、声のトーン、おじぎから、他人との間隔の取り方…

考え出すと、少々息苦しい。


外国人と接するときは、当然、相手も、各々の文化的背景を

持っていながら、互いに、それが異なることも承知しているので、

より言語表現に拠ったコミュニケーションをおこなえるようだ。


そこには、ある種の風通しの良さが感じられる。


つまり、自分自身が属する高コンテクストの文化でのように、

はっきり言わないことが当然なあり方から、束の間、解放される

とでもいうべきか。


そして、意思を、明確に伝えるよう努める。


しかし、動物を相手にすると、コミュニケーションは、全面的に

非言語のものとならざるをえない。




蛍の発光は、シンクロすることが

知られている。


(写真は、蛍祭りで有名な長野県

辰野。

1万匹の蛍の乱舞は圧巻…!)




事務所の猫は、分離不安があるのかと思うほど、ひとり(1匹)で

いられない気質で、こちらの後をずっとついてきたり、隙あらば?

膝に乗ろうとしたりする。


それなのに、じっと見つめると、急に体を離し、よそよそしくなる

のがふしぎだったが、猫において、相手からの“凝視”(ぎょうし)は、

“威嚇”(いかく)行動と理解されるようだ。


このような行動から、ciniiに掲載された論文は、猫が、歴史的に

家畜化の途上であると、結論づけていた。


猫を保護することになるなんて、以前は考えもしなかったので、

何を考えているのかわからず、勝手に疲れてしまう日もあるけれど…

それは「お互いさま」というものだろう。


多様性の尊重される今日、ネコによってヒトの「あたりまえ」を覆され、

貴重な勉強をさせてもらえる、と感謝しよう。


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