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文章の力

研究会に送る原稿の締め切りが、4月中旬に迫っているにも

かかわらず、なかなか手がつけられないでいる。


元々、書き始めるまでの助走が長いほうで、可能な限り参考

文献に目を通し、全体の見取り図が決まったら書き出すのが

常なのだが、今回はどうにも重い腰が上がらない。


スランプか? 鬱か? といえば、そうではないのだが…


2月の上旬に、寄稿を依頼されたときは、喜んで引き受け、

テーマもすぐに決まった。

だが、ほどなく世界が注目する「出来事」がはじまり、執筆

の準備は続けながらも、身体に錘(おもり)をつけられたよう

に重苦しい想いが増していった。


端的に言って、不条理な「出来事」で人が亡くなっているのに、

超然とした態度で自分は自分の研究だけを、「出来事」以前と

変わらずおこなうことの是非が心内で問われていたのだ。


周知のごとく、論文の主語は、「私」ではなく「われわれ」だ。

そうであれば、個人の研究も、全体に寄与することが当然だろう。


「人新世(ひとしんせい)」以降は、人間以降の世界ともいわれ、

人間にとっての地球でなく、地球にとっての人間と置き換えた

とき、人間はどのような存在意義をなすのか? が問われるよう

になった。


今回の出来事も、その意味では、象徴的なものであり、歴史の

転換点ともみなされる。


ある国のひとが言うには、お金や命より大切なものがある、と。

それが「自由」なのだ、と。


平和な場所で、そのような究極の選択を迫られず生きてしまって

いる身としては、彼らに圧倒されながら、それでは、今、ここで

何を書くべきか? 自問自答を繰り返している。


時間や空間を隔てて、自身が受け取ってきた貴重なメッセージ

(一度も会ったこともない先人の、もしくは会わずに終わる であろう同時代の人間の)は、いつも文章からやってきた。

それゆえ、文章の力を信じ、自身も書くことに就こうと願う。





2022.3.26

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