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評価基準

大学の入学試験は、共通テストが一般的で、学校や学部によりさまざまな

試験形式があっても、ほとんどは「点数」によって決まる。

 

マークシートのような試験形式では、1つの「正解」が存在するため、

試験勉強においてもやや単調な「暗記」がしばしば求められる。

 

高いレベルの大学に入るためには、どの分野においてもいかに「点数」を

取るかが大切で、深い思考能力を養うより、器用かつ合理的に攻略を

おこなうことが必要とされる。

そのためには「捨て問」と称し、時間切れのときにはあえて手をつけない

問題も出てくる。

 

「偏差値」至上主義が、深い思考能力を奪うといわれる所以である。

 

このように大学受験では、何か一つの分野に秀でているよりも、総じて

平均的に良い点数を取れる学生が評価される。

 

対照的に、受験生が少なく、専門性も高い大学院の入学試験で求められる

のは、深い思考能力、論理性、オリジナルアイディア(研究における新規性)

である。

 

過去にノーベル賞を取った物理学者が、学生時代を回顧して、苦手な科目

もあり器用な方ではなかったが、好きな科目にはのめり込んだと語っていた。

 

ノーベル賞の受賞者と並列するように語るのは気が引けるが、私自身、

大学ではそこまでの意欲も、特別な目標も見つけられず、何となく皆と

同じに学生生活を送っていた。

どちらかといえば、平均的に点数を取るのは得意でなく、得意な科目と

苦手な科目に差があった。

 

しかし、大学院では、好きな科目に絞り、学びを究められたし、何より

得意な論述を全面的に生かすことができた。

 

大学に比べて、現実に、各大学院の評価基準はバラバラで把握しづらい。

ただし、テストの「点数」より研究の内容が問われること、それには

付焼刃的な「暗記」などでなく、時間をかけて練った研究計画が求められる

ことは間違いないと断言できる。

とりわけ、上述した「新規性」をアピールできれば、高い加点が望めるの

である。






 

 

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