今まで考えることもなかったのだが、留学生の中には、
翻訳機を使って、レポートや論文を書く人がいるらしい。
だが、無料の翻訳機などは、簡単な会話レベルであれば
訳すのに都合よく、間違いも少ないとはいえ、アカデミック
な論述には適さない。
先日授業の後に、学習者が母国語で書いた論述を、翻訳機
にかける(ご本人は承諾済み)と、色々興味深い結果が
得られた。
(1)1センテンスが6~7行にも及び、読みづらい。
※複文は、短すぎても(1行にも満たないと)バランスが
悪いが、長かったとしても3行くらいが妥当。
(2)文頭と文末がつながらない。
※(1)のような超ロングセンテンスにおいては、どこが
どこに「かかる」のかが明確でなく、文脈を見失ってしまう。
(3)主体(主語)が誰だかわからない。
※筆者なのか? 他の主体(人間or人間以外)なのか?
(4)いかにも翻訳調の言い回し
※何となく意味は通じるが、自然な日本語表現でない。
いくら自国語をコピー&ペーストのようにして、翻訳機に
かけたところで、何かしらの訳文は出てくるが、そもそも
それが適切なものかどうかの判断は、いかにして為せるか?
答えはいうまでもない。
デジタルであることが善で、アナログは時代遅れのような
言説が、巷にはびこっている。
問題は、デジタルかアナログかでなく、思考することを
放棄したまま、趨勢に飛び乗ろうとする態度だろう。
わざわざ留学しなくとも、翻訳機を使い、翻訳調の
外国語を使うことはできる。
しかし、人生の一時期に、留学という選択をおこない、
その後も当該の体験を生かすというのであれば、
一生ものの外国語を身につけたいものだ。
「西武大津店」菊竹清訓
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