• 日本語空間

契機

昨年の今頃、大学院に在籍する留学生の修士論文の

サポートに追われていました。


その学生の方は、担当教員の指導を受けることが

できず、悩み苦しんでいる状態でした。


大学院は、単に自身が何を専攻したいかだけでは、

志望校を決められず、指導してくれる教員がいるか

どうかが、非常に重要です。


その方が、最初につきたいと希望した教員は、人気

があり学生が集中したため、担当してもらえず、

回される?ようにして、当該の教員につくことと

なったのでした。


しかし、2年目に入っても、本格的な指導が始まる

気配はなく、一人で資料を集めていたそうです。


きちんと自己主張すればよいのでは? という声も

聞こえそうですが。

大学院では、専門が絞られてくるので、その世界が

狭いこともあり、不本意ながら忖度(そんたく)と

いうような心性も生じます。


実際に、当該の教員も、学会では重鎮であり、影響力

を持っていました。

何より、不興を買い、試験で落とされることを、その

方は心配していたのです。


大学であれ、大学院であれ、高いレベルの教育機関で

働いていれば、自動的に尊敬を受けて当然というわけ

もなく、むしろノーブレスオブリージュを果たす義務

があるでしょう。


クリニックに通い、精神安定剤を手放せないほど追い

詰められたその学生の方に、同情すると同時に、

日本人として恥じる気持ちがありました。


同時に、その方と話していて、研究者としてのポテン

シャルが認められたので、ここでつぶされてしまうのは、

もったいない! と感じたのです。


結果として、その方は、博士課程の試験に合格し、修士

論文も賞を獲得しました。

その方にとって、幸いであっただけでなく、試運転の

状態であった「日本語空間」を本格的に始動させたい

と願う契機になったのでした。


あれから1年が経ちます。


















    ジョージ・ワッツ「希望」

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