「助走が長くて…」
と時折、自虐気味にいってみたりします。
陸上競技の話ではなく、論文を執筆する際の比喩です。
つまり、書き出すまでに時間がかかる、ということ。
文章の完成を目指すとき、全体の進行の度合いから、
「遅筆」、「速筆」といったことばが使われますが、
それは、書き出してからを指しています。
それでは、助走時に何をしているのか?
文章を書くと一口にいっても、分野や内容により、
書くための準備はさまざまに異なります。
私の場合は、基本的に資料調査やフィールドワーク
及びそれらの分析をおこないます。
しかし、何をおいても日常的におこなっているのが、
ズバリ読書です。
これなくしては、その後のフレインストーミングも
困難となります。
アカデミックな学びをするひとにとっては、当然の
話だ、といわれるかもしれません。
しかし、読書の質量は、論文、否(いな)、勉学、
ひいては研究のレベルに大きくかかわります。
AI時代の到来により、知識を単に頭に詰め込むこと
の価値は、格段に下がりました。
この現実に臨み、日本の大学受験においても、丸暗記
でない応用力を問う形式の問題が増えるということです。
そうであればこそ、読んだ内容をそのまま受け入れず、
まずリファレンスを増やし、対照をこころみ、時に
懐疑するための能動的な「多読」が、有効になって
くるでしょう。
「助走」をつけてどうする?
走り高跳びのように、より高い場所へと知的な「飛翔」
を果たすのです。