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  • 日本語空間

続・編集感覚

日本語教師の非常勤として働いていたころ(大学院に入る前)、

出版社で、単発の仕事を何回かしたことがある。


過去の新聞から、あるテーマに関する記事を探し、制限字数以内

にまとめていくという作業だった。


枝葉末節(しようまっせつ)を剪定(せんてい)し、必要な部分を取り

出した後、さらに表現を、濃く書き詰めていく。

その繰り返し。


仕事に没頭し、気がつけば退社時間という生活は、頭のなかが

クリアになっていくようで、シンプルなよろこびがあった。


出版社からは、提出したものに対し、注意や訂正の要求もなく、

一任をされていたのでやりやすかった。


論述、特に長さのある学術論文を書くとき、「何を書くか」という

ことに負けず劣らず、「どう書くか」ということを意識してきたの

には、このような経験が反映されているのだろう。


実際、私は、書き始める前の準備時間と、書き上げた後の推敲の

時間のほうが、文章を執筆している時間より長い。


いったん完成させたのち、部分を書き変えれば、全体にも影響が

出るため、その間を何度行ったり来たりするかしれない。

だが、それは、当然のことなのだ。


最終的に、文章を整えていく技術は、「書く」よりも「編集する」

ことに関わるといえよう。


博士課程在学中に3本、修了後に2本の投稿論文が、審査を

パスし、外国の学術誌に掲載された。


掲載が決定したのちには、編集委員会の担当者とのメールでの

やりとりが始まる。

校正は、最低2回のチャンスをあたえられるが、提出後にも、

あとから納得できない部分が出てくることはめずらしくない。


そんなわがまま? に根気強くつきあってくださる相手の方は、

大学の教員だ。

大学での実務の合間に、編集をしてくださっているので、本当

に頭が下がる。


博士課程も修了に近づいたころ、ゼミの飲み会に、先生が呼んだ

先輩は、出版社で働く人だった。


その人と直接会ったのは、1度だけだったが、イギリスに留学し、

博士の学位まで取得しながら、研究者にはならず、あえて編集者

になったという経歴に関心をひかれた。


おだやかな面持ちで、ひとつひとつ大切にことばを選ぶように

話していたあの先輩が、なぜか今とても懐かしい。





















店頭で手に取ったフリーペーパー。

無料の配付とは思えない手のこんだつくり。

読んでいてワクワクする。


調べたところ、慶応大学の学生団体S.A.Lが

発行しているとわかり、二重にうれしくなる。

完成度高し。


今は貴重な「紙上旅行」を体験させてくれて、

ありがとうございます!

いつかまた旅に出よう‼


https://www.salkeio.com/backpacker

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