温暖化の影響か、冬でも雪があまり降りませんね…
雪の結晶には、同じかたちがふたつとないそうです。
そのような研究に没頭できたら、どんなにか知的な
よろこびを味わえるのでは、と想像したりします。
論述も、ただ堅苦しいのではなく、クリエイティブな
作業である、と声を大にしていいたい!
さて、文章を書くときには、基本的に、二つの面を考え
ながら、書き進めます。
すなわち、「何を」書くかと「どう」書くか。
「どう」は、話しことばなので、「いかに」としましょう。
結論を先にいえば、少なく見積もっても、「いかに」書く
かは、全体のうちで半分の割合を占めるといえます。
なぜなら、このふたつは、分かちがたく結びついている
からです。
現在、留学生の論文をサポートしていて、「いかに」の
部分を直すことが主たる仕事となっています。
事は、文法や語彙の正確さにとどまりません。
構成、論理性、修辞と多岐にわたるチェックを要します。
せっかくよいアイディアや独創性があっても、「いかに」
の部分を疎かにしたせいで、文意が通じないばかりか、
論述全体が「みすぼらしい」印象になるのは残念です。
最近、添削した留学生の卒業論文も、内容的には、時宜
にかなったテーマを扱っており魅力的なのに、文の提出順
が考えられておらず
(→一つ一つの文が適所に配置されてこそ文章となる)、
接続詞や副詞が乏しいため、文章がきれいに流れない
ぎくしゃくしたものとなっていました。
そこで問題点を、集中的に指導したところ、見違えるような
論文に生まれ変わったのです。
限られた時間内で、みずから訂正すべき箇所に気づく
のは、至難の業。
そうであるからこそ、有用なサポートをおこない、
各々の論文をベストな状態に導きたい、と願っています!
『雪華図説』(1832)
土井利位どいとしつら(1789-1848)は、 江戸幕府の老中であったが、オランダから 輸入された顕微鏡を用い、雪の結晶の研究 をおこなった。