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ことば/実相


大学院に在籍していたとき、ある科目の教員に勧められ、

DVDで『ヒロシマモナムール』(1959)を見た。


1958年、映画撮影で広島を訪れたフランスの女優が、

爆撃で家族を失った建築家の日本人男性と出会う。

被爆都市・広島や原爆資料館で目にした資料について、

彼女は、率直な感想を話すが、彼は「いや、君は広島で

何も見なかった」と答えるのだった。


しかし、第二次世界大戦中、彼女の恋人はドイツ兵で、

フランス開放の日に殺され、彼女自身、敵兵と通じたと

いう理由により剃髪の辱(はずかし)めを受けていた――


脚本は、フランスの小説家マルグリット・デュラスで

監督は、アラン・レネ。


1952年、サンフランシスコ講和条約の発効にともない、

GHQによる報道制限が失効すると、規制がかけられていた

原爆に関する表現を自由に発信できることとなる。


その結果、1950年代には、同作に先駆け原爆をテーマに

した映画が何本も制作され、その中には「核の落とし子」と

して誕生し都心を破壊する怪獣を主人公とした『ゴジラ』も

含まれていた。 



 『ヒロシマモナムール』中に引用された   映画『ひろしま』(1952) さて、肝心な『ヒロシマモナムール』だが、正直、ことば

のやりとりが観念の中で空回りしているようなのと、

主人公を演じた俳優・岡田英次のセリフが、やや棒読み口調に

感じられ、映画の世界にすんなり入ってはいけなかった。 


アラン・ㇾネは、ヌーヴェルバーグの巨匠として日本でも

高い評価を得ており、アウシュビッツを描いた『夜と霧』など

社会派の作品を多く手がけている。

「フランス人であるわれわれが、日本人の体験した原爆をどこ まで知ることができるのか?」というコンセプトや、緊張感の ある画面からは、誠実な姿勢が伝わる。

だが、ことばで語ろうとすればするほど、取り返しのつかない

歴史的出来事は、実相と乖離するようにも感じられたのである。

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