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  • 日本語空間

つなぐ・つながる

昨年、「ことばの体感温度」というタイトルで、記事を

書いたことがあった。

そのとき、書き切れなかった部分を、今日は語ってみたい

と思う。


コンテクストやノンバーバルコミュニケーション的要素

を、皆が一々気にしているわけではなかろうが、

「言外の意味」は、やはり存在するので、相手が、実際

何をいわんとしているのかには敏感になる。


コロナ発生以降、対面でのコミュニケーションが一気に

減ったせいか、仕事以外の日常的な場面で、失語症では

ないが、うまくことばが出てこないことがあった。


たとえば、せっかく事務所の猫をほめてくれた向かいの

住人に、ぎこちない対応しかできなかったことをブログに

書いたが、そのことで、ささやかなコミュニケーションも、

人間にとって大切なのだと確認していた。


振り返れば、じかに誰かと話す機会があまりにもないので、

もうコミュニケーション自体いいや、というか面倒くさい

ような心情、いわばミザントロープ(人間嫌い)に近い

状態だったのかもしれない。


しかし、遠出をしなくなったこともあり、思いがけず、

近隣の住人とみじかいことばを交わす機会は増えていった。


たとえば、シャッター街の最後の砦(とりで)のような八百屋

とリサイクルショップの店員さん。

どちらも高齢の女性で、ひとりで店番をしているのだが、人通り

自体まばらな場所で、気丈にあきないをしている姿に心をうたれた。


階下に店を持ち、上の階に住んでいるようで(古いが持ち家?)、

年金も支給されているのだろうから、仕事をしないと経済的に

立ちいかないわけではないのだろう。


そうではなく、曲がりなりにも店をかまえ、誰かと接することで

社会参加していることに、心の張りを保っているのではないか、

と想像される。


そのようなカード不可の店で、時々、小さな買い物をする。

すると、マニュアル通りでも、「お客様は神様」的態度でもなく、

孫にでも話すようにことばをかけてくれるのがあたたかい。

「ちょっと持ってごらん。こっちのバナナの方が重いから」などと。


私とこの方たちの共通点は、一体何なのか? すぐには思いつかない。 

偶然につながった縁――。

血縁のように濃くないが、だからこそ淡々と接せるのが、心地よく

もある。


そういえば、先月、サーフボードが立てかけてある店先を何の気なし

に見ていたら、店主が、サンタクロース姿で船に乗り川を下るイベント

がある、と教えてくれた。

普段は、カヌーを使って、川の清掃をするボランティアをおこなって

いる、とも。

「すごいですね」といったところ、茶目っ気あふれる表情で返された。 「一緒に掃除しちゃう?」

とっさにうまく答えられなかった私は、やはり、ぎこちない感じで

「か、考えときます…」と答えたのだった。







 絵のような夕焼け…  橋の上で、急いでシャッターを切ろう  としたら、横で同じポーズをしていた  見知らぬ人と目が合った。  「(きれいで)びっくりするよね」といって、  親しげな笑顔を見せた。

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