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  • 日本語空間

世相(せそう)

昨日、図書館へ行き本を読んでいると、図書館員

が早足で通路を行ったり来たりしていた。


返却された本を書棚に戻したり、本を整理したり

するのは、普段からめずらしくないことだが、

あまりに頻繁過ぎて妙な雰囲気なのである。


来館者を見てないようで見ていることもあり、

視線を感じ落ち着かず、紙ごみを捨てようとして

ごみ箱が見つからなかったので、尋ねると

「ないので預かります」と手を差し出された。


理由は、すぐに察せられたが、果たして地域の

図書館で危険な行為が起こるなどとは想像し

づらく、まあ、上からのお達しに従っている

のだろうと考えた。


駅前を通ると、やはり警察官が、多数巡回して

おり、物々しい雰囲気だった。


情報化社会が到来して後、隠されていた社会の

相が可視化され、談論風発的な状況がおとずれた。

かかる状況により、異なる意見が真っ向から対立

することに対し、国民の「分断」がしばしば

危惧される。


分断か? 多様性か? どこに立つかで判断は

異なるのだろうが、それが、価値観の一元化や

全体主義の防波堤となっているなら、進歩と見なせ

なくもない。


国葬反対のデモに浴びせられた「お前ら日本人か?」

ということば。

熱く激昂した状態で発せられたのだろうが、その

問いを耳にし、かえって冷静になってしまった。


戦前、日本がカタストロフへの道を進むとき、

権力に逆らう者や、戦争協力を拒む者は、一括して

「非国民」と呼ばれた。


それを思えば、時代が逆行しているような不安も

おぼえるが、「反対」と「賛成」の意見が二分

されているというのは、まだ思想の自由がある

ということだろう。


ある国の「国民」、「〇〇人」としてのありよう

は、たった一つであるはずもない。


われわれの「心」は、石からできてはいない。

だが、やはり戦前に、「感傷の共同体」の創出が、

人々に思考停止の状態を招いたように、どこまでも

「頭」は醒めた状態を保っていたいものだ。


         一発の銃弾が日本近現代史の裏面を照射した。

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