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乱舞(らんぶ)する中世

芸術の秋などというが、現在、市内では3年に1度のダンス

フェスティバルが開催されている。


それにちなみ、舞踏に関する本を読もうと探していて、偶然

見つけた沖本幸子氏の『乱舞の中世―白拍子(しらびょうし)

・乱拍子(らんびょうし)・猿楽(さるがく)』を一気に読んだ。


ステレオタイプな発想かもしれないが、伝統的な日本の

ダンスのイメージは、激しいリズムを刻む舞踏よりも、

メロディーを重視する軽やかな舞踊ではないだろうか。


だが、意外にも、日本の中世はリズムの時代だった。


それ以前の平安時代には、貴族文化が花開き、ゆったりと

した催馬楽(さいばら)や神楽歌(かぐらうた)、今様(いまよう)

といったメロディアスな歌が好まれたのに、である。


平安時代も、末期になると、後白河天皇(ごしらかわてんのう)

のように、みずから 流行歌である今様を歌い、『梁塵秘抄

(りょうじんひしょう)』のような歌謡を編纂する王が現れる。


彼は、強力な文化の庇護者(ひごしゃ)であり、身分の高い者

ばかりでなく、たとえ身分が低くとも、芸術的な才能が傑出して

いれば、遊女でも傀儡子(くぐつし)でも、傍にはべらせ、共に

歌うことを楽しんだという。


当時、白拍子(しらびょうし)という男装の女性や、女人禁制の

僧院で、僧に仕えた美貌を誇る少年・稚児(ちご)の舞は、

リズムを刻みつつも優雅であった。


対照的に、成人男子の貴族や武士、僧の舞は、しばしば、

ありえないほどアクロバティックで、意表をつくものであった

ため、観衆をどよめかせたらしい。


日本に関することを扱う以上、天皇制に関する考察は、外せない

と考え、修士課程に在籍中、天皇制に関する本を多数読んだ。

中でも、何度も読み返したのは、水林彪(みずばやしたけし)氏の

『天皇制史論―本質・起源・展開―』。

この分野では、必読書と考えられる。


天皇制に関しては、いくつかの疑問があったのだが、特に探り

たかったのは、天皇の権力が衰えた時期はいつごろか?

ということだった。


同書からは、戦国時代、武士が台頭し、実力主義の隆盛に伴い、

天皇ではなく「天」の前に、戦国大名の武家集団が誓約を交わした

という事実や、足利義満(あしかがよしみつ)の事例から、中世は、

一応、その時期といいうることが理解された。


ただし、天皇が、一気に力を喪失したというのではなく、帝王然

とはせずに、下々の者とも交わり、ユニークな文化を創出したと

いう点が興味深い。


戦乱の時代には、旧来の制度や価値観が通用しなくなる。

不意に訪れる死という平等な機会の前では、身分の貴賤は関係が

なく、そうであればこそ、乱舞は、多くの人間を席巻したのだろう。























月岡芳年「吉野山(よしのやま)夜半月(よわのつき)

伊賀局(いがのつぼね)」

※描かれたのは1886年。


伊賀局は、鎌倉時代の白拍子で、後鳥羽上皇

(ごとばじょうこう)の愛妾だった。

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