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  • 日本語空間

手仕事・こだわり・共生

「芸術の秋」というが、そのシーズンもじき終わる。

この季節にしては暖かい、と書いた2日後、気温が急に

下がった。


昨日は、午後に仕事がいったん片づいたので、先日

フライヤーをもらっていたアートフェアなるものを見よう

と、暗くなる前にあわてて外出した。


キャッチコピーは、「身近に楽しむ“まちなか(街中)”

アート」。

「多様な価値観が共存する港町らしく、人それぞれの

好みで選べるよう、街や店の垣根(かきね)を越えて繋がり、

皆様をお迎えします」との口上に、期待が高まる。


すでに3時を回っていたため、80か所以上ある会場のうち、

10か所くらいしか回れなかったが、丹念に計画された催し

からは、楽しむという以上に見えない「力」を与えられ、

行って、見て、よかった! とつくづく思わされた。


中でも印象に残ったのは、一見対照的でありながら、

「手仕事」と「こだわり」への志向を感じさせるふたつ

の会場だ。


一つは、普段は足を運ばないような住宅街の奥まった小道

にある古い民家。

築70年という建物自体が、作品ともいえ、一歩足を踏み

入れると、ふしぎな磁場に捕らえられる。




























そこは、完全な住居ではなく、スタッフが常駐しながら、

展示以外にも、マルシェやワークショップなどを開いている

そうだ。





















コーナーを彩る貴重な古い生活用品の数々は、えもいわれぬ

存在感があったが、住居でないからこそ、これらの保存は

可能なのかもしれないと考えた。

つまり、生活を続けていく上では、希少価値があるものでも、

やがては廃棄せざるをえなくなるだろうから。











そのような“物”と同時に、蚕を繭にして糸を取るといった

“手仕事”を継承し、双方の「歴史」を、肩の力の抜けた

こだわりで大切にしている。


下の写真で、壁にかけられた光る布は、その絹(きぬ)で

できた作品。



さらに、古さに固執せず、まだ無名の若い表現者の作品を、

積極的に展示するといった心意気には、まったくもって拍手

を送りたくなる。




そして、もう一つが、瀟洒(しょうしゃ)な商店街にある寿司屋

兼ギャラリー。

店主の方が、とてもフレンドリーで、実はこのイベントの主催者

は「僕なんです」と、色々な話を聞かせてくれた。


両親が、近所で「普通の」寿司屋をやっていて、一方、自分は、

アートがずっと好きだったので、両者を合体できないかと考え、

顔見知りの店主たちに声をかけたのだという。


メニューに、“いなりずし”と“のり巻き”しかないのは、展示を見る

間も匂いが気にならず、手軽につまめ、ヴィーガンでも食べられる

から、との理由だ。


そして、店内の半分以上を占めるスケートボード場は、メニュー

同様、こだわりの手仕事による。

ダズル迷彩※は、コロナや他の厳しい外的状況を象徴しており、

未来を担う者が、複雑な道をすり抜け、進んでいってほしいとの

願いがこめられている。



応援する若いアーティストたちの話を、本職そっちのけ (?)で

熱く語る店主の姿には、新しい共生への希望が感じられた。




※ダズル迷彩:第一次世界大戦中に、敵の攻撃をかく乱させる

       ため、考案された模様。

       戦争と芸術の関係については、2011年に出版された

       河本真理『葛藤する形態 第一次世界大戦と美術』

       (人文書院)に詳しい。

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