日が落ちてから街を歩いていると、花びらのような
ものが、マスクの中に舞い込んだ。
桜にしては早いと思って、暗闇に目をこらせば、
わずかに雪が降っている。
肩に落ちても、すぐに消えてしまうほどのあえかさで。
晩になり、都会の雪は降り積もることなく止んでしまった。
まるで早すぎる春の夢のように――。
さて、ことばの勉強には、大きく分けて二つのケースが
ある。
つまり、明確な目標を持っている場合と、さしあたって
目標はなく、たのしみのためにそれをおこなう場合である。
ネイティブレベルのアカデミックジャパニーズを指導
する『日本語空間』では、圧倒的に前者の依頼が多いが、
時には、後者の依頼もある。
その場合、要望を聞き、可能な限り柔軟なカリキュラムで
対応している。
たとえば、文化に関するトピックを読解したり、テーマを
設定して短い論述をしたりして、知的好奇心を満たす
ような授業をおこなっているのである。
単に思考するのでなく、外国語で思考することにより、
学知に柔軟性が生まれ、おのずと教養が身につく。
教養は、それだけでは役に立たないと思われがちだが、
勉強や仕事にとどまらず、広く人と接するとき、
人生の岐路に立ち将来を考えるとき、大きな糧と
なるだろう。
索漠とした現代だからこそ、束の間立ち止まって一息
入れることが、目には見えない豊かさをもたらして
くれると信じている。
地蔵ゆかり『祭堂』