今日は、授業が三つあり、慌ただしい1日だった。
外国に住む学習者のうち2人が、偶然、10月に来日し短期滞在する
とのことで、閉ざされていた国境が本格的に開かれ始めたのを実感
する。
台風も去り、今日からは秋晴れの空が戻ってきた。
吹く風が涼しく、行楽にはぴったりのシーズンだ。
今晩、最後の授業を受けた学習者は、千葉県へ遊びに行った帰り、
渋滞に巻き込まれ6時間もノロノロ運転になったそう。
さて、一つの卒業論文の添削は、明日が締め切り。
初めて長い文章を書く学習者にとって、最初はどこから手をつけて
いいかわからないようすだったが、こちらがサポートして書き進める
うち、だいぶ勘が養われてきたようだ。
私は、「デッサン」ということばをよく口にする。
どれほど論文を書きなれていて、文章の達人であっても、いきなり
「書く」ことに取りかかり、一気に書き上げることはありえない。
全体像をおおまかにデッサンした後、執筆に入り、部分と全体を
行ったり来たりしつつ、つど微調整を図る。
レポートと異なり、一定程度の大きな対象にむかうとき、それを
丸掴みすることは不可能なので、補助線を引きながら、少しづつ
全体像を把握していくのだ。
その際、対象との距離を縮めたり、広げたり、別な角度から眺め
たりすることで、客観的な把握がしやすくなる。
そう。「書く」ということは、とりもなおさず、「見る」ことに
つながっている。
一刻も早く仕上げたい気持ちは抑え、じわじわと歩を進めていこう。
その粘り強さが、「濃い」記述につながっていくのである。
肝要なのは、簡単に「わかったつもり」にならないこと!
そのためにも、まず補助線を引くことは、対象を適切に把握する
第一歩なのだ。