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  • 日本語空間

複文―短すぎず、長すぎずに―

4月の後半は天気が荒れ模様で、何となく気持ちまで

晴れなかったが、ゴールデンウィークに入り、やっと

初夏らしい陽射しに出会えた。


一般の人と反対に、週末仕事が入っているため、私は

週の出だしが遅くなりがちだ。

ブログも、うっかりしていると週半ばまで手つかずと

なり、反省することしきり・・・


だが、今週は良いことがあったので、書きたい気持ち

にせかされた。

それは、新規の学習者の方が、非常にモチベーションが

高く、指導のしがいがあるということ。


具体的には、卒業論文の添削をおこなっているのだが、

外国人でありながら、ほとんど日本人大学生のレベル

なのに驚かされた(日本語そのものにとどまらず)。


他で指摘されているのを見たことはないが、個人的に、

外国人学習者における書き言葉の最終仕上げは、「複文」

に習熟することと考えている。


この方は、その複文が、かなりこなれているのである。


たとえば書くこと以前に、読解などでも、入り組んだ

日本語の複文は文意がつかみづらい。

だが、ニュースの記事などでも、書き手によっては、

1センテンスが相当な長さのこともある。


1センテンスの長さは、一般的には2~3行が妥当と

されるが、大家の著書の中には、より長いセンテンスも 散見される。

その場合、文体が確立されているので、多少長めでも

文意が混乱することなどはなく、むしろ文章表現に

秀でているからこそ、当該の技が可能になるのである。


学術論文も、同様に、短すぎるセンテンスが混じるのは、

×でないにしても△くらいではあるので、手間を省かずに、

書き換えた方がよい。


前述の方は、1センテンスが短すぎず、長すぎずという

ほど良いバランスだった。


日本語そのものにとどまらず、その他のアドバイスも

ほしいということなので、早速ブレインストーミングを

おこなったところ反応がよく、タイトルを変更し、構成も 見直す運びとなった。


実は、「日本語空間」に依頼する前に、別な日本語教師に

依頼したが、日本語のみしかチェックしてもらえなかった

ので、他を探したのだという。


そう、文章が、ただ正確であればよいというものではなく、

目的により「作法(さほう)」も当然異なる。

元日本語教師でありながら、それに飽き足らず、現在の

仕事に移行してきた私は、アカデミックな分野で指導に

従事することを何よりと感じている。


「忍野八海(おしのはっかい)」は、山梨県 にある景勝地。 学習者の一人が、今週、再訪すると聞いた。 日本の景勝地をあまり訪れたことのない私は、 何となくひけめを感じる一方、日本再発見? 的な視点を与えられている。

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