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記憶を風化させないために


被爆後、民家から発掘された 時計の針は、原爆投下の時刻で 止まっている。 戦後に記された建築史の名著といわれる長谷川尭(はせがわたかし)

の『神殿か獄舎か』で、丹下健三(たんげけんぞう)の設計した

広島平和記念資料館及び平和記念公園は、手痛い批判を受けていた。


だが、客観的であることが自明視されている評論も、何かしらの

イデオロギーを帯びずにはいられない。

長谷川のスタンスも、ある時代の相(しいていえば1970年代的な)

を映しているのは確かだ。


また、忌憚ない意見を述べるなら、文中には、建築家や建築史家の

学閥(長谷川を含む)も透けて見える。

それは、それとして―。


彼は、建築家が、神殿づくりを目指す「崇高」な職業とみずから任ずる

姿勢をただしているのだが、とりわけ他に類をみないほどのカタストロフ

を記憶するのに、かかるあり方は、適切でないと断じている。


換言すれば、丹下(世界のタンゲ…!)が、平和を祈念するといいながら、

その機会をみずからの神殿づくりの欲望に利用したことが、汚れている

といいたいようだ。


本日、この国の首相が、広島でおこなわれた原爆死没者慰霊式・祈念式典

で、「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の

戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に

積み重ねていく」などのくだりを、こともあろうに読み飛ばした。

ことばが「軽量化」しているといわれる時代にあり、こんな失態こそ、 国辱(こくじょく)といっても過言ではない。

丹下健三は、戦後から高度成長期にかけ、日本が経済力に伴い対外的な 自信をつけた象徴のような建築物を次々に設計した。 その時に、早くも記憶の風化は、始まっていたのだろうか? いずれにしても、戦後から76年をも経た今だからこそ、より冷静な歴史 への視座が切に求められているといえよう。


赤線は、丹下自身によって 引かれたもの

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