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  • 日本語空間

読書と「対話」

梅雨に後戻りしたような雨の日が続いていたが、

今日は、一転して青空が広がった。

授業の前に、飲み物を買いに外出すると、

なぜか春にはあまり聞かなかったウグイスの声

が響いていた。


原稿の締め切りが目前に迫り、現在は、授業の

合間に、推敲を重ねている。


この段階にきても、参考文献に再度目を通す作業

は怠らない。

朝起きたら、短い時間でも、まずは読書をおこなう。


自分自身の頭の中にあるものだけで、文章を書く

ことなどありえないし、本を再読すれば、気づきも

まま生まれる。


いうまでもなく、文献や書籍を読むのは、単に

情報を仕入れるためではない。

ほとんどが実際に会うことのない著者や、そこ

に展開される思想と「対話」をするのだ。


先日の話の続きになるが、くだんの容疑者が、

当該の新興宗教を批判していたYou Tuberに宛て、

決行の前に投かんした手紙が、今日公開されて

いた。


頭脳の明晰さがにじみ出た文章で、本をたくさん

読んできた人物なのではないかと想像される。

友人は、ほとんどいなかったというが(家が破産

するほどでは、交際費など捻出できるわけもない)、

本の中で、またそこから翻って己自身と数限りない

対話をおこなってきたのだろう。


静かな筆致の裏に、彼の慟哭が聞こえるようだ。


私は、少なくとも、彼よりは恵まれた境遇に置かれて

きた。

そうであるからこそ、読んではまた、対話を繰り

返していこう。


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