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論文と〝ひとりごと〟

今日の日中、いつもより強い風が吹いていると感じ、天気

予報を見たら「春一番」だった。


そのせいか何か知らないが、事務所の猫が、朝からずっと

興奮したように部屋の中を駆け回っていた。

春の訪れを感知するリズムが、体内に刻まれているのか?

落ち着かないようすで、窓の外ばかり見ている。


卒業論文をサポートするシーズンは終わろうとしており、

そろそろ私自身、次の論文の準備に入らねばならないと

考えている。


大学院生時代、長い学位論文を書くにあたり、部屋に1日

こもって誰にも会わない時間を過ごした。

特に博士課程で、必修単位をさっさと取り終えてからは、

ゼミの出席も基本は免除されていたので、大学院の校舎から

足が遠のいた(図書館にはせっせと通っていたけれど)。


そのような状態が続くと、曜日の感覚もなくなり、いつしか

時間からも抜け出したようにふしぎな心地がするのだった。


論文「あるある」に、引きこもりになる、行方不明になる

(実話)、ひとりごとが増える、などがある。

さらに、炊飯器や洗濯機に話しかける(「いつもありがとう」

等)ということも。


学生生活を終え、一抹の寂しさを感じるのは、そのように

ある種逸脱した状況を経験せずに、より余裕をもって論文に

向かえることだ。


病的(?)でなくなったのは、幸いといえるのかもしれないが、

あの極度に張り詰め、自分史上、最高に濃密な時間を過ごした

日々が無性に懐かしい。

      レベッカ・ホーン 『禅庭のためのエネルギー・バロメーター』

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