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2021年1月6日

「いかに」書くかの比重

温暖化の影響か、冬でも雪があまり降りませんね…
 

 
雪の結晶には、同じかたちがふたつとないそうです。
 
そのような研究に没頭できたら、どんなにか知的な
 
よろこびを味わえるのでは、と想像したりします。
 

 
論述も、ただ堅苦しいのではなく、クリエイティブな
 
作業である、と声を大にしていいたい!
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
さて、文章を書くときには、基本的に、二つの面を考え
 
ながら、書き進めます。
 

 
すなわち、「何を」書くかと「どう」書くか。
 
「どう」は、話しことばなので、「いかに」としましょう。
 

 
結論を先にいえば、少なく見積もっても、「いかに」書く
 
かは、全体のうちで半分の割合を占めるといえます。
 
なぜなら、このふたつは、分かちがたく結びついている
 
からです。
 

 
現在、留学生の論文をサポートしていて、「いかに」の
 
部分を直すことが主たる仕事となっています。
 
事は、文法や語彙の正確さにとどまりません。
 
構成、論理性、修辞と多岐にわたるチェックを要します。
 

 
せっかくよいアイディアや独創性があっても、「いかに」
 
の部分を疎かにしたせいで、文意が通じないばかりか、
 
論述全体が「みすぼらしい」印象になるのは残念です。
 

 
最近、添削した留学生の卒業論文も、内容的には、時宜
 
にかなったテーマを扱っており魅力的なのに、文の提出順
 
が考えられておらず
 
(→一つ一つの文が適所に配置されてこそ文章となる)、
 
接続詞や副詞が乏しいため、文章がきれいに流れない
 
ぎくしゃくしたものとなっていました。
 

 
そこで問題点を、集中的に指導したところ、見違えるような
 
論文に生まれ変わったのです。
 

 
限られた時間内で、みずから訂正すべき箇所に気づく
 
のは、至難の業。
 
そうであるからこそ、有用なサポートをおこない、
 
各々の論文をベストな状態に導きたい、と願っています!
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
     『雪華図説』(1832)
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
土井利位どいとしつら(1789-1848)は、
 
江戸幕府の老中であったが、オランダから
 
輸入された顕微鏡を用い、雪の結晶の研究
 
をおこなった。

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