日本語空間

2022年8月6日

ことば/実相

最終更新: 2022年8月7日


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
大学院に在籍していたとき、ある科目の教員に勧められ、

DVDで『ヒロシマモナムール』(1959)を見た。

1958年、映画撮影で広島を訪れたフランスの女優が、

爆撃で家族を失った建築家の日本人男性と出会う。

被爆都市・広島や原爆資料館で目にした資料について、

彼女は、率直な感想を話すが、彼は「いや、君は広島で

何も見なかった」と答えるのだった。

しかし、第二次世界大戦中、彼女の恋人はドイツ兵で、

フランス開放の日に殺され、彼女自身、敵兵と通じたと

いう理由により剃髪の辱(はずかし)めを受けていた――


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
脚本は、フランスの小説家マルグリット・デュラスで

監督は、アラン・レネ。

1952年、サンフランシスコ講和条約の発効にともない、

GHQによる報道制限が失効すると、規制がかけられていた

原爆に関する表現を自由に発信できることとなる。

その結果、1950年代には、同作に先駆け原爆をテーマに

した映画が何本も制作され、その中には「核の落とし子」と

して誕生し都心を破壊する怪獣を主人公とした『ゴジラ』も

含まれていた。 
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 『ヒロシマモナムール』中に引用された
 
  映画『ひろしま』(1952)
 

 
さて、肝心な『ヒロシマモナムール』だが、正直、ことば

のやりとりが観念の中で空回りしているようなのと、

主人公を演じた俳優・岡田英次のセリフが、やや棒読み口調に

感じられ、映画の世界にすんなり入ってはいけなかった。 

アラン・ㇾネは、ヌーヴェルバーグの巨匠として日本でも

高い評価を得ており、アウシュビッツを描いた『夜と霧』など

社会派の作品を多く手がけている。


 
「フランス人であるわれわれが、日本人の体験した原爆をどこ
 
まで知ることができるのか?」というコンセプトや、緊張感の
 
ある画面からは、誠実な姿勢が伝わる。
 

だが、ことばで語ろうとすればするほど、取り返しのつかない

歴史的出来事は、実相と乖離するようにも感じられたのである。

    310