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  • 日本語空間

植物、そして動物

このブログを開始したのは、コロナウイルス第一次爆発の事後であり、

「新常態」の以前であった。

そのとき、無性に何かしらの示唆を得たく、図書館で手に取ったのが、

ペーター・スローターダイクの『空震ーテロの源泉にてー』。


示唆に富む内容であったが、中でも、第一次世界大戦を契機とする

エアコンディション(毒ガス開発につながる)への注視が、それ以降の

世界に決定的な変化を生じさせ、われわれは、それ以前の素朴な感慨

と共に想起されるような「故郷」を喪失した、という一節にひかれた。


そして、今日、不可視の空気に潜むウィルスは、それよりはるか以前

の太古の環境がどうであったかを、われわれに問いかけている。


それが、エマヌエーレ・コッチャのいう、命あるものが生きていける

地球は、そもそも「植物」が創った空間なのだ、ということ。


そこでは、やはり大気が重要なキーとなっている。

光合成は、肉眼では不可視だが、地球存在には、不可欠だ。


一方で、期を同じくし、権利・平等の気運が高まるなか、動物を保護

や愛護(愛玩…)するのでなく、彼らと対等に在りたいという者たちが、

可視化された。


具体的には、人間が、恋愛や結婚という結びつきを得るのと、何ら

変わりなく、動物をパートナーとする行為に光が当たったということ。


彼らは、ズーフィリア(動物性愛者)と呼ばれ、みずからの存在を、

社会的にカミングアウトしている。


LGBTQしかり、あたかも空気のごとく、存在するのに、存在しない

ごとく扱われていたものたちが、姿を現しはじめた。


                                              


          TNRの罠にかかり、左耳を切り取られた猫。 


          外国人墓地の周辺では、このような猫たちが、

          ボランティアの管理下に置かれている。


          その目に光はなく、餌の与えられすぎで、一様

          に肥満し、不健康そうな体を引きずっている。


※TNR ;Trap Neuter Return







2019年に出版された『聖なるズー』

が、静かな反響を呼び続けている。


筆者の濱野ちひろ氏は、

京都大学大学院の博士課程に在籍中。


ドイツにあるズーフィリアの団体

「ZETA」で、彼らと寝食を共にし、

取材をおこなった。








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