昨日、一昨日と、当地では「開港祭」が開催されていた。
今を遡ること163年、すなわち日本が未だ江戸時代にあった
1859年、歴史の偶然から、江戸(東京)に先立ち海外に戸を
開いたここ港町は、急速な発展を遂げることとなる。
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元は、名もない半農半漁の小さな村であった土地は、開港に
臨み整備されていき、全国から商人たちが蝟集(いしゅう)
し、空前の活気を呈した。
また、海外、特に欧米から転機を求めて訪れた外国人たちは、
居留地の洋館で貿易や事業に乗り出す。
そのような「日本初」の文物に、鉄道、ガス灯、乗り合い馬車、
近代水道、新聞、写真、クリーニング、理髪、ホテル、パン、
牛乳、ビール、アイスクリーム等がある。
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江戸のような「伝統都市」でない当地は、都市としての歴史が
短いのが特徴だが、開港と当時に、間を置かず海の外から人や
モノを受け入れていったこともあり、他の地よりも「近代」の
面影が色濃い。
そうして、都市計画に則った開発でなく、海の側から生起する
ごとく街が開けていったので、隣り合わせる地区が、異なる相貌
を持ち、それがタペストリーのような諧調を生み出している。
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あたらしさのなかに古さが、また古さのなかにあたらしさが
息づいており、互いを相殺することなく、活かし合っているのを
感じる。
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港町の夜明けを想像させる佇まいは、今も随所に見受けられる。
そこをよぎりながら、先人が馳せたであろう海の外へ、私も
想いを巡らせる。
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2022.6.3 ドローンが描く〝光の帆船(はんせん)〟