大学院が、大学と最も異なるのは、
そこにおける研究にあらかじめ「自立」
が求められていることだろう。
大学院入試に際し、担当教員を探すのに
苦労する人は少なくない。
なぜなら、自身の研究テーマとぴったり
合う教員がそうそういるわけではないからだ。
幸いテーマが合ったとしても、定員の問題も
あり、受け入れてもらえるとは限らない。
運よく受け入れてもらえたとしても、
修士課程以上の学びでは、学部までのそれ
とは異なり、教員の指示にただ従うような
形態は取らない。
それゆえ、テーマが完全に一致せずとも、
教員の指導方法に納得がいき、研究室とも
なじむようであれば、そこに腰を据えるのが
一般的である。
あえて乱暴にいえば、まずは置いてもらえる
研究室を探し、可能な限り自身で研究の自立
を図ることだ。
大学院の教員は、手取り足取り教えてくれは
しないし、教員自身のやり方を押しつけても
こない。
ただし、本当に重要な場面では助言をくれるし、
適切な方向性も示してくれるはずである。
私自身の経験をふりかえると、師が発する1の
ことばを聞き10を理解するというような
恬淡としつつもほどよい距離の関係が築けていた。
そのような中にこそ、自身がことばに責任を負う
ことを前提とした研究の「自由」も存在したと
考えるのである。
英国式庭園にて
2024.5.5