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たった一つの「私」のテーマ

学位が上がるにつれ、学びの形態も定型を離れてゆく。

つまり、1対1対応の正解や模範解答が存在しない世界

へと足を踏み入れていくのだ。


大学院ともなると、暗記方式の勉強は、基本的には

おこなわない。

同じ研究科に在籍していても、テーマは皆異なるので、

学生の数だけオリジナルテーマがある、ともいえる。


研究の作法(さほう)は、当然踏まえるが、あくまでも

自分自身で問題を設定しては解くようにして、独自に

進んでいかねばならない。


このような学びの方法がたのしく思えるなら、それ

だけでも大学院向きといえる。


実は私自身、大学までは、学ぶことに情熱が感じられず、

特に暗記が好きではなかった。

ただし、暗記は、それ自体学びの基本段階においては

不要なものではない。


なかでもロースクールの学生たちが、それ以上詰め込め

ないほど法曹に関する知識を記憶しているのを、大学院

時代目にして、暗記も集中力を高めると、特に苛烈な

それは精神修養にもなりうるのだろうと思わされた。


何か一つでも、深く知りたいことがあれば、そのような

人も大学院の学びには向いている。


道は、究めようとすれば果てしないけれど、各人に委ね

られた裁量も、大学時代とは比べ物にならないほど大きい。


ただし、どのような先生のもとで学ぶかも、そのこと

には関わってくるだろう。


面倒見がよくて、何でも教えてくれる先生のゼミで、

従順な学生として気に入られるのか、

自由度の高い先生と、忌憚のない意見を交わしながら、

基本わが道をいくのか。


幸か不幸か、自分自身のテーマと合う担当教員を見つけ

られなかった私は、だいぶ放浪? したが、結局己で

悩みながらも手探りして進む道を選んだ。


結果的に、そのことが、ベストではあったと感じている。


そうしてゼミを転々としたが、最後のゼミで、研究分野

の異なる先生が、挫けかけていた私にかけてくれた

ことば「新しいことをやろうとしているのだから、

やめてはいけない」が、今も私を支えてくれている。


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