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杉原千畝(すぎはらちうね)

ビザがなければ、外国に滞在することができないのは、

自明の事実。


だが、ビザが発行されなくとも、やむをえず、異国の地に

とどまらねばならない者もある。


現在、国会で審議中の入管改正法に対し、研究者たちが

「人権への配慮がない入管のあり方を、さらに悪化させる」

と反対声明を出している。


特に、難民の受け入れについて、日本は、先進国のなかでも

認定が少なすぎると、しばしば批判されてきた。

改正案で、問題視されているのも、難民申請3回目以降に

“強制送還”の可能性が含まれる点だ。


確かに、異なる文化の人間を受け入れる行為は、きれいごと

では済まされない。


しかし、政治難民には、帰国後、過酷な運命が待ち受ける。

強制送還後に失われるであろう「命」を、見捨ててよいはず

もない。


杉原千畝(すぎはらちうね)は、「命のビザ」の名称と共に

記憶される外交官。


1939年、リトアニアで、日本領事館領事代理となり、

1940年、ナチス・ドイツ(日本の同盟国)の迫害から逃れて

きたユダヤ人難民に、1か月で2,139通のビザを発給する。

それは、「発給要請を充たさない者へのビザ発給は認めない」

という本省の命令に背く行為であった。














戦後、帰国した杉原を待っていたのは、外務省からの辞職勧告

であり、不遇の時は晩年まで続く。


同省は、杉原の存在を黙殺し続け、彼の名誉が、日本政府により

回復されたのは、死後14年経った2000年のことであった。


ハンナ・アーレントは、『イエルサレムのアイヒマン』で、

おびただしい数のユダヤ人を死に追いやったアイヒマンの行為が、

冷酷無比な心性などでなく、“無思想性”によるものだと指摘した。


すなわち、「上官に命令されたから」それをおこなったという

“凡庸な”、それゆえに“陳腐な”悪なのだ、と。


対照的に、杉原は、自身が、職務において過ちを犯していると

自覚しながら、普遍的な人間の使命につき従った。


「私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかも

しれない。しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しに

することはできなかった」。











  終戦70周年の節目に作られた映画。

  「センポ・スギハラ」の“センポ”は、

  “ちうね”の音読み。


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