昨日書いたごとく、スノーボードの堀米雄斗選手は、小学生時代、目が
極端に悪く、足の勘だけで滑りをおこなっていたという。
それを見ていた他の選手の方が、「怖がっていた」と、父親の友人が
証言している。
よく見えることは、プラスの面をもたらすと普通は思われるが、逆に、
よく見えないことが、危険や恐怖の抑圧から自由であることをもたらし、
おそらく、一般の人間が捨て去ってしまう未知の領域の方に、彼を、
踏み出させた。
見えない、という状況を、あえて逆手(さかて)に取って訓練を続けたのか
どうかは、記していなかったが、おそらく本人が、それを気にしなかった
ことが、きっかけとなり、驚異的な成長を遂げたとも考えられる。 この類(たぐい)まれな練習方法は、勘をもちいることから、「直感」と
書き表したくなるが、もし、心の眼で見えていたなら「直観」の方が、
ぴったりしているかもしれない。
堀米選手は、突出したセンスとともに、練習量も他を引き離しているという。
つまり、基本を怠らず、しかし、最終的に各分野でのトップに立つ人間が
持ち合わせる「遊び心」=それを心から楽しむことを、持ち合わせている
ということだ。
福岡伸一氏著『生物と無生物のあいだ』の第5章「サーファー・ゲッツ・ ノーベルプライズ」には、地位や名声に縛られない研究者、キャリー・B・ マリス氏が登場する。 アカデミックな機関に所属せず、ポスドク(博士の学位を取得した後、正式な 教授職につかないポジション)を渡り歩き、ファーストフードの店員をしたり、 小説を書いたり、サーフィンに熱中していたりしたマリス氏は、そのきわめて 柔軟な発想ゆえに、ノーベル賞を獲得した。
自分自身が、研究をおこなっていると、堀米氏やマリス氏の例は、いわば
直観に長けた超人? のあり方として、至極自然に理解される。
さて、それよりは、だいぶ卑近な例になるが、学習者の方が、煮詰まって
いるときや独自のテーマを探さねばならないとき、私も、直観を利用した
ブレインストーミングをおこなう。
理想的なのは、それが、ブレインストーミングとも何とも感じられずに、
学習者の方の眠っていた貴重な部分が、発掘されたときだ。
頭は、雑多な情報が詰まりすぎていたり、緊張して抑圧が多かったりする
状態では、ベストな回転をしない。
それゆえ、いきなり核論に入るのではなく、現前の事物に固定された眼を、 対象から引き離し、来し方や未来に視線を飛ばしつつ、頭をほぐしていくのだ。
2021.8.21 猫の目に映る世界は…?