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  • 日本語空間

都市と建築

秋になるといつも思い出す詩がある。

 

 あわれな 僕の魂よ

 おそい秋の午後には 行くがいい

 建築と建築とが さびしい影を曳いている

 人どおりのすくない 裏道を

(立原道造『晩秋』)


最初の2行は、詩としては格別な趣があるわけでは

ない抒情的な表現だ。

だが、3行目の「建築と建築とが」から、にわかに

都市の無機質な表情が浮かび上がる。


職業詩人であれば、「ビルの群れが」とか、

「建物の連なりが」くらいに書いたかもしれない。


しかし、建築家を本業とする彼は、この語を己の詩に

当てたのである。


その建築家兼詩人・立原道造(たちはらみちぞう)は、

第一次世界大戦が勃発した1914年、日本橋に生まれ、

優秀な成績で帝国大学を卒業し、銀座の建築事務所に

就職したが、第二次世界大戦のはじまる1939年、

結核で夭折した。


「世界のタンゲ」と呼ばれた同世代の建築家・丹下健三

(たんげけんぞう)は、晩年になってから立原を回想し、

自分が超えることのできない才能を持っていたと語って

いる。


「建築は死んだ」などと語られて久しいが、相も

変わらず、東京は高層ビルディングや巨大な商業施設

の建築計画が進行中で、新しさよりはバブル期のような

旧さを感じないでもない。


先日、フランス紙『ル・モンド』の特派員は、東京が

数ある平凡な大都市の一つになりつつあると書いた。


経済や「生産性」を優先する余り、過剰に肥大していく

都市は、前に進めても後ろには退けないし、その場で

のたうち回っているようにも見える。


だが東京に限らず、ささやかなもののために立ち止まる

余裕がなければ、グローバリゼーションの津波が全世界

にまき散らす「無印(ジェネリック)都市(シティ)」が増殖

していくばかりだろう。※


戦争の足音を聞きつつ、ささやかなスケールの快適な

住居を設計した立原道造が今生きていたら、一体何と

言うか? ふと考えてしまった…


※磯崎新(いそざきあらた)

「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチュア

または、あらためて『造物(デミウルゴモルフ)主義(イスム)』」

より






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